1953-07-27 第16回国会 参議院 地方行政委員会 第17号
というのは、宮崎工場長がこういうことを言つているのです農民隊も四百名ばかり参りましたしと言つているのです。農民隊が四百名ばかり参りましたということは、引取人が何人来たというふうに考えておらないで、ただ農民が大勢群衆的に押寄せて参りましたので、この労働組合との対立関係をどう始末をつけようかというのが、この前後を見ますと、宮崎さんの頭の中を一ぱいにしておつた状況らしいのです。
というのは、宮崎工場長がこういうことを言つているのです農民隊も四百名ばかり参りましたしと言つているのです。農民隊が四百名ばかり参りましたということは、引取人が何人来たというふうに考えておらないで、ただ農民が大勢群衆的に押寄せて参りましたので、この労働組合との対立関係をどう始末をつけようかというのが、この前後を見ますと、宮崎さんの頭の中を一ぱいにしておつた状況らしいのです。
然らばどうすればよいかというような相談もありまして、引取りを要請したと言つておるのでございますが、それに対して宮崎工場長は、私は十三日の出荷のことについては相談を受けておらないと、こう言つておるのであります。従いまして、全購連の系統から命令が出ておらないので、熊本の販購連が独自な立場で動いたとしか解釈できない。
十三日の問題でございますが、私は朝から只今この席にいられます宮崎工場長に用件がございましたので、会社へ参りましたのでございますが、そのときすでに日通のトラツクが十台ばかり来て並んでいまして、それに家族の人たちもぞくぞくつめかけて来られますし、さうこうしていますうちに、筵旗を押立てた販購連のトラツクが十七台ばかり農民の人を満載して会社の前に着きました。
併し労組のほうでも出すのにやぶさかでないというようなことを言われましたので、もう晩も九時になりましたからお互いに一つ引取ろうじやないか、そして一つ三役の方々に出荷に対する御努力をお願いしようじやないかということを私発言いたしまして、宮崎工場長から労組幹部に伝えたわけであります。そして九時頃私たちは引上げて帰つたのでございます。